砂漠の王と氷の后 6  〜『蜻蛉』サマ、砂幻シュウ様より。


地下の通路を抜け、王が城下町に住む民達の声に耳を傾ける別邸より戻って数日。
王カンベエの第一夫人シチロージは、その時に出会った水売りの子と、分厚い門を挟んでも聞こえていた、民達の賑やかな声を忘れられずにいた。

砂漠の地に越してもう数十年。
輿入れの時に見た、砂漠の民達の日に焼けた顔と活力に溢れた目は今でも眼に焼きついているが、静かな後宮に住んでいれば、そのような民達の声はなかなか耳に入れる機会が無い。
子供のような我侭を云って、別邸で執務に励む王を尻目に、屋敷に訪れていた水売りの荷台に潜み、街を目指したのは僅かな時間。
生憎と、王の目を盗んで城下町に繰り出す事は叶わなかったが、それでも門一枚を挟んで見えていた城下の町は活気に溢れ、日頃静寂と供にいるシチロージにとっては、わくわくと心踊る風景であった。

「そういえば、昔はよく婆やの目を盗んで、街に繰り出していたね」

それはまだカンベエに見初められるよりも、遥か昔。
まだ姫と呼ばれていた時分のシチロージは、生まれ育った城の中で姫らしく過ごすのに飽き足らず、氷と雪が支配する街の中へと単身一人で繰り出していたものだった。
一年が氷に閉ざされている国とはいえ、そこは王族が支配する国である。

城の前には美しい氷の彫刻が並び、城に通ずる大通りには空から降ってくる雪の結晶をきらきらと反射する灯り、暖かな蒸気がもくもく立ち上る店先に並んだ、鮮やかな菓子や食べ物、衣類や毛皮などは、まだ年若かったシチロージの興味を惹き付けてやまなかった。
なるべく王族と分からないような、けれども冷気をしっかりと遮断する分厚いコートに身を包み、護身の短刀一つを持って城下町へと繰り出し、其処で気ままな散策などをして城へと戻れば、育ての親であった乳母が顔を赤くして、部屋に待機していたものである。

『姫様!またそのような事をなさって!万が一の事があれば、大事ですぞと何度申し上げれば!』

脳裏に蘇るそんな怒りに染まった乳母の声に、シチロージはふふと笑う。

「しかしな、婆や。シチのお転婆は年を重ねても変わるものではない」

何せ、今でこそ此処、砂漠の地の後宮に大人しくあるものの、別邸での一件以来、今度はいつ『脱走』の打算を立てようかと、こうして思案しているのだから。


またあの屋敷に赴き、あの水売りの子の力を借りて今度こそ街に出してもらおうか。
それとも、此処から駿馬を駆り、砂漠を駆けるのも悪くはない。


「さても何やら楽しそうであるな。我が后は一体何を考えている?」

さてどうしてやるべきかと、シチロージが後宮の自室にて碧い眼を細めていると、背後からそんな声が掛かる。
前触れも無く後宮に訪れた王、カンベエの其の声に、シチロージは座っていた椅子から目線一つ、訪れた主を眺めやって、些細な事でありますれば、とふふと笑った。

「先の館にて、街の喧騒が恋しくなり。さて、カンベエ様の懐から飛び出すには、一体どうすれば、と考えておりました」
「外の風が恋しくなったか」

シチロージの其の言に、カンベエはふむ、と顎鬚に手をやった。

「では今宵、馬を駆り、東のオアシスで星を見るのはどうか?」
「さても嬉しいお言葉」

カンベエが統べる砂漠には、水を豊富に湛えるオアシスがある。
砂漠を渡る商人達の休憩所にも、旅人の疲れを癒す場としても栄えている其の場所には、もちろん王族の息の掛かった建物も存在した。

砂漠を駆けるのは久しぶりです、とシチロージが微笑めば、后に逃げられては叶わぬからな、とカンベエが苦笑する。

「子供とはいえ、宝を持っていかれるのは一度で十分よ」
「ふふ、まだあの子供に嫉妬されておられるとは」
「儂は案外、懐が狭いのだ」

であるからこうして、后が気紛れを起こさぬようにと伺いに来たのよ、とカンベエは嘯いた。
その実は、側近くに控えている女官の一人より、『后様、脱走の気配あり』などとの情報を得たのであろうが、それをおくびにも出さず、のっそりと自ら出向いてくるのがカンベエらしい。
王に仕える后として、身一切の事はこうして主に筒抜けの身ではあるが、しかしこうして彼に構われるのも、シチロージはなかなかに嫌いでは無かった。

「では今宵は、砂漠の地で」

星を見ましょうぞ、とシチロージが微笑めば、カンベエも、では後ほど迎えに来よう、と満足した表情を見せた。


こうして王と后はその夜、滾々と水が沸き出でるオアシスの地で、砂漠の空を彩る満天の星を眺めたのであった。

了 (2010.03.17)


● 今回のネタの元になるお話を書いて下さったMorlin.さまへ。
 此度は素敵なお話を書いてくださり、ありがとう御座いました!


● 勘七サイト『蜻蛉』サマ、砂幻シュウ様より。
 あらびあん設定をお借りして書かせていただいた『
白亜の館』の
 アンサー篇…にあたりますのでしょうか。
 大元の生みのお母様に当たる砂幻シュウ様に萌え話を描いて頂きましたvv
 砂幻サマ、ありがとうございましたvv
 大切に読まさせていただきますね?

 砂幻シュウ様のサイト『蜻蛉』サマヘ →


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